松戸稲門会の歴史:大隈さん、そして安部球場

松戸稲門会初代会長 石井 順一 (大正11年商学部卒)

昭和から平成へと年号が移った正月でしたが、松戸稲門会の皆様には相変わらずご活躍のこととお察しいたします。

例年のごとく、私の正月は静かなもので、三が日ともゆっくり自宅でくつろぐことにしております。
なにしろ、明治32年生まれの90歳ですから。ただ、東京のロータリークラブに入っておりますので、正月恒例の会(今年は1月11日でした)には顔を出しております。かれこれ52年間になりますが、50年の節目には銀盃を頂戴したりしました。稲門関係者も、村井資元総長をはじめ、11~12年ほどおりますので、早稲田の話がよく出ます。

 また当会の会長をやらせてもらっているので、近隣の各稲門会にご招待を受ける機会も多く、会場が大学本部の先生方とか、総長ご本人から声を掛けていただくことがあります。明治の生き残りだからでしょう。(笑)。嬉しいことですね。

 ある会場で、安部球場の移転の話が出ました。伝統を重んじる野球部の稲門会では、移転を良しとしない状況があったんです。しかし、現実問題を考えたとき、移転も止む無しだったんですね。いくら球場のネットを高くしても、打球が往来の道路に出ます。事故や建物の破損の弁償も高額です。それより何より狭いグランドでは100人からいる選手諸君の練習が充分になされません。

 こうした現実問題を踏まえて、野球部OBとして協力してほしい旨の要請が石黒真一さん(校友会幹事・ホテルグランドパレス)たちからありました。広いグランド、雨天練習場、ナイター設備等、立派な球場を作ってくれるのは有難いことです。最も古いOBとして野球部稲門会のメンバーの説得にあたったのも自然のなりゆきでした。強い野球部にするには、現実を直視した条件闘争にもっていかねばなりません。

 野球部の思い出といえば、私の現役時代(大正6年~)は大隈老侯も元気でしたから、よく外国の大学を招待して親善試合を行いました。シカゴ大、カリフォルニア大、ミシガン大など、多い年は年2~3回もやる。記念写真を撮る時、私は小さいから前に座ります。そうすると私のすぐ後ろに大隈さんがイスに腰かけておられる。大隈さんの吐く息がよく聞こえたものです。英語も達者だし、大きな声で挨拶されるが強く印象に残っております。

(平成元年1月会報より転載)

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